数週間後、昔診ていただいていた担当の理学療法士さんから、一通のメールがきました。

そこには、腰痛の原因は「悪い歩き方による腰部への過度の負担と、歩行時の腰部の過度の前湾。現在まで腰に負担をかけ続けているので、治療をしても腰の痛みが完全に取れるかどうかは分からない。でも、早急に治療をしないとこれ以上に悪くなることは目に見えている」と書いてあったのです。
その言葉を見て初めて、腰痛治療を優先しようと決めました。そしてちょうどその返信メールをもらうのと同時期に、自分でも腰痛の原因を知りたいと夜な夜なネットサーフィンをした結果「脳性麻痺」という言葉と「二次障害」という言葉を見つけていたので、何となく原因が分かり始めていました。

自分が脳性麻痺であると知ったのは20歳ですが、病院に行ったのは受験が一通り済んだ18歳の冬なので、約2年近く原因不明の日に日に強くなる腰痛と共に過ごしていたことになります。精神的にも悶々とした日々は辛かったし、原因が分かるまで長すぎたと思います。
発見が遅ければそれだけ治療にも時間がかかる訳ですし、「もっと早く自分が脳性麻痺だと分かっていたら。」「脳性麻痺の二次障害を知っていたら。」「自分が普通学級でこんなに無理していなければ。」「治療を中断していた一番大切な中学・高校時代にきちんとリハビリに通っていたら。」
「何かが違っていたんじゃないか?」と、いつも頭をかすめることです。

初めて腰痛が足障害が原因だと分かった時は、とにかく嬉しくて、安心しました。不安や恐怖・葛藤に襲われたのはその次の段階で、まずはとにかく悶々とした気持ちから解放されてホッとしたというのが、正直な気持ちです。
もうこれ以上、「気持ちの問題だ」とか「怠け者」と言われなくて済むのだから。
「一度症状が出たら、岩が崖を転がり落ちるように止まらない」と言った療法士さんの言葉は、忘れません。
そして、痛みの対処には時間がかかったけれど「二次障害」という言葉を17歳から知っていた私は、まだ幸せな方なのだと思っていたいです。

※「脳性麻痺の二次障害を一人でも多くの方に知って理解してほしい」という想いで、自身が脳性麻痺による二次障害と直面した時の体験談を、5回に渡り記載しました。
※二次障害の出かたは人それぞれであり、元の障害の程度や生活環境により掛けてきた負担などによって異なります。あくまで私の場合ですので、参考にしていただければと思います。

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腰痛治療で、整形外科クリニックにリハビリ通院をするようになった私。

私としては、病院に通っているのに腰痛が改善しないことが不思議で仕方なかったので、「こんなに痛いのに長い間治らないなんて、もし大病だとしたら大変」という気持ちが一番大きかったです。
でも、それと同時に、「もしかしたらまた気持ちの問題と思われるかもしれないのに、別の病院に行って説明するのはもう疲れた。このままじゃ近い将来歩けなくなるかもしれないし凄く痛いけど、このままでもいいかな?」という気持ちもありました。

しかしその悩みを友人に伝え、以下のようなやり取りをしました。

友:「腰、治ったの?」
私:「治んないよ~。コルセットしてるのに、春頃より強くなってる。」
友:「え!何で?でも、ちゃんと病院行って、リハビリしるんでしょ?」
私:「知らないよ。何か治らないし。いちいち全部話すの疲れたかな。」
友:「疲れたって!でも、言わないと!何もわかってもらえないよ!?」

友:「あ!ねぇ!ayanoを知ってる人に聞けば、大丈夫なんじゃない?」
友:「ayano足悪いんでしょ?昔行ってた病院とか先生とかいないの?」
友:「そこに行って「私です」って言えば、診てもらえるんじゃない??」
私:「そっか!そうだよね!ありがとう!私帰ったら病院調べてみる!」

そして、昔リハビリを担当してくれた療法士さんに手紙を書きました。

高校二年生の春から生まれて初めて腰痛を感じたこと、痛みが出始めた頃は歩けていたのに、今は50mも歩けず足まで痛くなったこと、自分の足が悪いことと腰痛は何か関係があるのか等を書きました。

この時は「昔診て下さった先生なら私の痛みを分かってくれるかもしれない」という思いと、「まだ同じ病院に在籍していて、届いた手紙に目を通してくれてさえいればいいな」という思いでいっぱいでした。

とにかく、長い期間続いていた腰の痛みの原因を知りたかったのです。

※二次障害の出かたは人それぞれであり、元の障害の程度や生活環境により掛けてきた負担などによって異なります。
※あくまで私の場合ですので、参考にして下さい。


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腰痛の度合いからして、あまりにも体育の見学が増えた私。

体育の先生からは、「あなたは個人プレーの競技はやるけど、集団での競技には出ないね。もしかして周りに迷惑がかかると思ってない?体育の授業はもちろん実技も大切だけど、それ以上に周りと協力して何かをやるということも大切なんだよ。今のままじゃ成績、あげられないな。」と言われました。また、「腰痛がどうして起こるのか医者じゃないから分からないけど、腰痛って筋力が弱すぎても起こると思うんだ。だから、足のこともあるけど、少しは体を動かすのも大切だと思う」と言われたこともありました。

結局、部活は高校二年の秋に大会が一区切りしたのを機に中途退部しましたが、その時にも顧問の先生から、「悲劇のヒロイン」と言われました。また、帰宅時間が早くなってからも、強い腰痛で寝ていると、怠け者扱いされました。
色々な場面で、ただやる気のないヤツだと思われていたのだと思いますが当時の私からすればそんな精神論はどうでもよく、「どうして周りはこの痛みに気付いてくれないんだ!」「気持ちの問題なんかじゃない。絶対、何か根本的な原因があるはず!適切な病院に行けば治るはず!」と思っていました。

部活を辞めた後できた時間を使って、近所の整形外科を受診したものの、私自身が自分が脳性麻痺という障害だということをまだ知らなかったこともあり、医師にも腰痛の原因は分かりませんでした。ただ、足が悪いということだけは伝えていたので「関節硬縮」という病名が付いて、「体が硬いんだねぇ!若いのに!リハビリしなよ!」と言われ、ホットパックを当てていました。
当時の療法士さんも私が脳性麻痺だということに気づかなかったことではっきりとした腰痛の原因も分からないまま、「う~ん。治んないねぇ。叩いたでしょ、腰。赤くなってる」と言われながら。温めたりストレッチしたりしながら、半年ほど通いました。
病院で温めたらその時はいくらかは楽になるものの、自宅まで徒歩で20分の間にまた元の痛みがぶり返し、結局は何時間も横になったまま休むことになるのです。

この時期は、「誰も私の痛みに気付いてくれず気持ちの問題だと言われ続けたまま、身体の痛みの原因もわからないまま、一生を過ごしていくのかな?」と考えていました。
精神的にも限界を迎えていたので大変辛い時期でしたが、学校では何とか周囲の速いペースについていこうと、毎食後にロキソニンを飲んで痛みをごまかしていたことを思い出します。
そして、自宅では「周囲を納得させることのできる正しい理由を見つけたい」という思いで、寝る時間を削ってまで必死に身体の痛みの原因を探っていました。

※二次障害の出かたは人それぞれであり、元の障害の程度や生活環境により掛けてきた負担などによって異なります。
※あくまで私の場合ですので、参考にして下さい。


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最初は気のせいだと思っていた腰痛でしたが、部活のトレーニング中だけではなく、ただ立っているだけでも腰に痛みを感じるようになりました。自分の身体の異変を初めて友人にも伝え、次のような会話をしました。

私:「ねぇねぇ。聞いて聞いて。最近私、腰が痛いんだけど…」
友:「え、腰痛?ねぇ、腰痛とかどんだけお婆ちゃんなの? 笑」
私:「ね!ホント!腰痛いとかヤバいよね!年取ったかなぁ?」
友:「でも、腰痛にも色々な原因があると思うけど。調べた?」
私:「調べたよ。ぎっくり腰と慢性腰痛だって書いてあった!」
友:「ぎっくり腰は動けないはず。やっぱり、お婆ちゃんだよ。」
私:「え!高校2年なのに老人と一緒なの?ヤバいねそれ。」
友:「ヤバいよ 笑 腹筋と背筋、30回から50回にしなよ! 笑」
私:「早く来てトレーニングしよう。体力ないしもっと走ろう!」

今考えたら笑えるやり取りですが、当時、最初は本当に、体力不足で腰痛が起こっていると思っていました。

本当は私の場合、腰部の筋肉の硬さと弱さ・腰椎前湾による負担・骨盤周囲の運動不良・下肢麻痺などの影響が複合的に絡み合って、痛みに繋がっていると思います。
最初はトレーニングの回数を増やしてみたものの、前湾や負担が強くなる一方なのに当然腰痛が治る訳がなく、そのうちずっと腰に痛みが残ったままになってしまったのです。
体育は初めは参加していたものの、50mを走るどころか歩くこともできなくなって、体育館で皆が行うバスケットボールをつく振動ですら腰痛が起こりました。だから見学をして先生を手伝うこともできず、体育の時間になると保健室に行っていました。

ついこの間まで皆と同じように動けていたのに、だんだん周囲のスピードについて行けなくなっている自分がいました。

動けなくなっていく自分を不思議に思いながら、この時期から、とにかく腰の痛みが強かったことを思い出します。

※二次障害の出かたは人それぞれであり、元の障害の程度や生活環境により掛けてきた負担などによって異なります。
※あくまで私の場合ですので、参考にして下さい。


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私が二次障害に気付くまでの経緯①を記載させていただきます。

私は、幼稚園から大学まで全て普通学級で過ごしてきました。

小学生の頃から部活でトランペットを吹いていたので、高校でも吹奏楽部に入りました。吹奏楽と言ってもオーケストラではなく、野球応援に出たりマーチングも行うような、活動的な部活でした。
その部活では基礎練習や体力作りの一環として腹筋や背筋など行い、時間のある時にはマラソンや縄跳びなどもしていました。

私が初めて体調の異変を感じたのは、17歳の春頃の腰痛でした。
16歳の冬までは全てのトレーニングについていくことができたので、体調を気にしたことなど一度もありませんでした。

でも、高校2年生になった途端、腰痛に気付くようになったのです。

「集合~!急いで~!」の掛け声で数歩小走りをした時に腰が痛みましたが、初めての腰痛だったので「気のせいかな?」とも思いました。でも、歩いたり小走りしたときなどのあとに同じ場所が痛くなるし、腰に痛みが残る時間がだんだんと長くなり、痛みの範囲も広がっていったのです。

「ん?なんだろう?」と思いながら。
それが脳性麻痺の二次障害であるとも知らずに・・・。

※二次障害の出かたは人それぞれであり、元の障害の程度や生活環境により掛けてきた負担などによって異なります。
※記載した内容はあくまで私の場合ですので、参考にして下さい。


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