朝まで眠れないままで過ごす夜の静けさほど、長いものはありません。

『自分を生きる』ことにプレッシャーを感じてしまって、落ち着かない夜を過ごしました。
誰に何を言っても・誰と何を話しても、最後の気持ちは、自分が処理するしかないから。
「私はこれから自分に起こる全ての変化を自分一人で受け止めて生きていけるのか」と。

本当の恐怖に襲われたときは涙を流す余裕もなくて、身体が震える経験をしたことを考えれば全然大した事はないし、
単純に眼科での視野のことや足の痛みなどたまたま2件続いたから、少し苦しくなってしまっただけなんですけどね。

「自分の身体だから自分がしっかりしなければ!」と、いつも、容赦なく突きつけられる現実に、その都度気丈に対峙してきたつもりだったけど、

やっぱり普段は気張っているのか、ふとした時に「あと何十年もこの連続…。私、大丈夫かな?」という思いが頭をかすめると、不意な涙が…。

それが聞くべきこと・知りたいことで、自分から質問した事だとしても。

ただ、頼り下手なのです。
長女の性なのかな (笑)

それでも、私は私を生きなきゃいけないから。
だからこそ今日からまた、自分がしっかりと。

自分 という芯を通して、
ただ、前だけを見つめて。

(これを書いたのは5:00頃。でも起きたら8:00。結局寝られたので、心配しないで下さい^^;)

足が痛い><
気休めにでも湿布を貼っていないと、痛みで頭がいっぱいになるけど、

今日もガンバロー^^!
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昨日、「どのように障害受容をしたのか?」という質問をいただいたので、20歳の時の障害受容に関して、記載しました。



私は、障害を持って生まれ・生きていくことは、「私の使命」と捉えることで、障害受容をしました。


私は、幼少期から「足が悪いということは何らかの障害や病気なのか?」ということが分かっていました。

学生時代に授業の一環で自分史を作る時などに母子手帳を見る機会が何度かあったので、その都度ある程度の傷病名について見当を付けていました。
一度母親に「私の病気って何?」と聞いた時、「医師からは垂直距骨と言われたよ」と聞いたことがあります。でも、それ以上は「そんなこと聞いて何になるの?」と叱られたことがあったので、聞かないようにしていました。
「垂直距骨という名前の病気か」と思ったり、自分の足が内側に向いていたので、内反足についても調べました。

腰痛が出て治療を始めたのは18歳の冬でしたが、その頃になると様々な壁にぶち当たり、「自分の障害名を知らされないまま」では耐えられなくなっていました。
その後も暫くは障害名を知らないまま通院をしていましたが、たまたま足の不調で別の整形外科で診察を受けた際、医師から「垂直距骨はそれだけで発症することはない。何らか大元の障害があるはずだから、担当医に聞いたほうがいい。それに、レントゲンを見る限り、明らかに垂直距骨と言える状態にはない」と言われたのです。

それによって私は、母から聞いた垂直距骨という障害名や調べていた内反足という障害名が、本当の障害ではないことが分かりました。
また、それまでずっと悩んでいた私でしたが、医師の言葉で「本当の障害名を聞く」ことを後押しされた気がして、決心が着きました。

脳性麻痺と聞いた時は、頭が真っ白でした。「脳性麻痺だけは絶対違う」と思っていたので、まさかでした。

普通学級で教育を受け続けた私にとって、脳性麻痺とは重度障害者の印象があったし、教師を目指し大学で教職課程を履修していた私が、ボランティア・介護体験・特別支援学級訪問などで関わらせていただく相手が、脳性麻痺なのです。
正直なところ、まさか自分が別世界だと考えていた相手と、同じ障害を持っているとは思いませんでした。
それに、垂直距骨や内反足であれば足部の形態異常なのに対して、脳性麻痺であれば大元が脳機能による障害なのです。単なる形態異常と脳機能の異常の違いや脳性麻痺の詳細については、障害児に関する本を読んでいたこともあり、よく分かっていました。

私はずっと、「足が悪いとはいえ頑張れば治る・治せなくても生活に支障がない状態でいられる」と思っていたし、18歳で腰痛治療を始めた時も、ゴールは「治す・治る」だと思っていました。
だから、「脳性麻痺だから治らない」と知った時は放心状態で、地獄そのものでした。人生で一番のドン底だと思いました。
「聞かなければ良かった」と思ったことも何度もありますし、誰からどんな励ましを言われても納得できず、落ち込んだまま、立ち直れませんでした。

でも、病名を聞いて1年程経つ頃に、「(障害を持って生まれ・生きていくこと)それがあなたの使命だから」と言って下さった方がいました。

それまでは誰が何と言っても立ち直れなかったのに、「使命」という言葉を聞いて物凄くスッキリして、やっと視界が晴れた気がしました。
それからは自分の障害を「使命」と捉え、「宿命を使命に変えて生きていこう」と、決意や覚悟ができました。
病名を成人してから知らされたので、きちんと検査してこなかった分今明らかになることも沢山あるのですが、過去に一生分泣いたし、これからも「何があっても大丈夫」と腹をくくれるようになりました。

脳性麻痺の原因となった脳奇形の跡と病名が分かったのが、23歳で頭痛を起こしてMRIを撮った時です。そのことで、20歳の時に脳性麻痺と言われたことに対する確定診断がされたような気がします。
なぜ垂直距骨と診断され、脳性麻痺と言われなかったのかについては、最初の医師が気付かなかったのかなと思います。障害の程度が非常に軽く、私を初見で脳性麻痺だと分かる医師はまずいないので、出生後なら猶更かなと思っています。

両親も、医師から言われた診断名を、長年疑うことなく過ごしてきたのだと思います。


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