突然ですが、「脳性麻痺の二次障害」という言葉をご存じですか?

『脳性麻痺の二次障害とは、脳性麻痺・ポリオなどの肢体障害者の人たちが30歳前後、早い人で20歳の頃から、“首・肩の痛み”、“手足の痺れ”、“つれ”、“冷感”、“重み”などの症状に襲われ、健康被害・身体機能の低下をもたらすことである』仏教大学 植田先生『二次障害ハンドブック』P102“二次障害とは何か”より引用)

『脳性麻痺と診断されたときに合併した症状を、一次障害または合併症と言い、知的障害、構音障害、てんかんなどがあります。二次障害とは後になって現れる症状で、関節変形、脱臼、側彎、頚髄症、精神心理障害などがあります』(『成人脳性麻痺ライフ・ノート』P10“二次障害とは何?”より抜粋)

脳性麻痺は発達上の障害なので、動き始めた時から・歩き始めた時から、どんなに健常児に近づこうとしても、健常児の動きとは違うわけです。出生後からの何十年分もの間違った動きによって負担が身体に掛かってしまい、早くから身体機能が消耗してゆくと考えられるのです。
健常者でもある年齢に達すると、そこから徐々に身体機能が低下してゆくことはあると思います。脳性麻痺者の場合、いくらかその発現が早いといった感じでしょうか。計算方法としては、「実年齢×1.3が脳性麻痺者の肉体年齢」とも言われています。

脳性麻痺は出生後、何よりも早くから障害の発現に気付き、治療に取り組むことが大切とされています。ただ事実として、どんなに幼少期から脳性麻痺の早期発見・治療をしても、二次障害の発現は避けられないようです。

脳性麻痺は進行性ではありません。それは、以前紹介した脳性麻痺の定義でもはっきり記載されていることです。
しかし障害は絶えず変化してゆくようで、例えば、軽度障害者が、突然重度障害者になってしまうような劇的な変化はないにしろ、軽度障害者が中等度障害者になったり、今まで歩けていた者が移動に杖や車椅子を使うようになったなど、自分の元の程度から、少し進んだ位を考えていればよいとも言われています。
(重度脳性麻痺者のほうが障害の程度が重くなってしまうように考えてしまいがちですが、日常でほぼ健常者と変わらない動きをこなしていた軽度脳性麻痺者の方が、成人後の障害程度の変化は大きいとも考えられています。)

リハビリで対応をすれば、現状維持や悪い変化を最小限に抑えられたとしても、日々の負担のほうがどうしても過度に掛かってしまい、二次的な変化を抑えることはできないのでしょうね。

現在二次障害と共に生活している私も、17歳で腰痛が起こるまで「二次障害」という言葉は知りませんでした。
そして未だ、世間や脳性麻痺の当事者や医師・医療関係者であっても、二次障害のことを知らない方は沢山います。
「一人でも多くの人に脳性麻痺者の二次障害の実態を知って理解してほしい」と思い、今日の記事を記載しました。


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昨日、整形外科の診察の際、主治医から「10月いっぱいでこの病院を辞める」と告げられた。

今回に限らず、先天的な障害で通院歴が長いので、私だけが残って病院のスタッフがどんどん変わっていくことはよくあること。
今の主治医も、勤務形態的にいつかは今の病院を去るのだろうということに始めから何となく気づいていた私だから、事あるごとに「依存しすぎず」ということを意識して、覚悟もできているつもりだった。
主治医としては、今の病院に来たこと自体が初めから今年度退社を想定してのことだったらしいが、いきなり告げられても受け止めきれなかった私は、昨日は放心状態だった。

私は現在2つの病院に通っている。一つは補装具作成・調整のため、他方は、リハビリのためだ。
今回「辞める」と言った医師は、リハビリ目的に通院させてもらっていた病院の医師だ。
今の医師との付き合いももう丸4年になり、振り返れば、長いようで短かったと感じる。

4年前、リハビリを全く行わず補装具調整のみ行っていた私は、毎日寝たきりのような生活をしていた。
生活範囲はベッドの上で、リハビリを行わないから体がどんどん硬くなっていくということに気づかず、動かない・動けない身体に、半分無気力になりながら過ごしていた。
ただ、大学4年生の夏、「あと半年もすれば働くのだから、今の体のままじゃダメだ!アルバイトで貯めたお金は全て、今までの自分を変えるために、リハビリに使おう!」と決めて、4年前の9月1日今の病院に行き、主治医と出会った。

見た目に脳性麻痺だと全く分からない私を不思議そうに見ながらでも、私の体の硬さに驚いて、「リハビリしよう!ダメだ。リハビリしないと、硬すぎる。今日、この後このままリハビリ室行って下さい!」と言ってくれた。

私はすごく嬉しかった。
というのも、当時のリハビリには今よりも厳しいリハビリ日数制限というのがあって、各疾患ごとにリハビリできる日数が決まっていた。その中で脳性麻痺の扱いは、「リハビリをしても治ることのない疾患は、リハビリの必要がない=リハビリ打ち切り」とされ、状態に関係なく診察以降リハビリに関しては、門前払い状態にあった。ただしこれには特例もあって、医師がリハビリを必要と判断した状態にある患者については、一ヶ月につき13単位を越えない範囲でのリハビリもできる。
私は今の病院や医師ににリハビリを受け入れてもらう前、既にこの日数制限に引っかかり、他の病院ではリハビリ受け入れを断られていた。


今の病院は3つ目に当たってみた病院だったから、純粋に嬉しかった。
「リハビリしましょう」と言われて、「ホントですか?!ありがとうございます!」と言ったのも覚えているし、「君は今まであまりにも何もしてこなかったんだね。大体、歩く時に足先を内側に向けて歩きすぎ。歩く時、人は脚を骨盤から振り出すものだから。今からリハビリ室行ってそれを教わっておいで」と言われ、一瞬で的確な指示をくれた医師と、今までの自分のリハビリに対する甘さを自覚して、びっくりしたのを覚えている。
それからは定期的にリハビリを受けつつ、診察ではその進歩について伝えていた。
障害自体は治せないにしても、何年分の硬さが改善されるから身体はかなり楽になり、「人が変わったようだな」と自分で思える程だった。
そして、今まで他の病院では明らかにされなかった体の至る部分の微細な変形や変化まで的確に指摘してくれたからこそ、今、素直に障害受容ができているのだと思う。

今の医療で脳性麻痺に完治はなく、いくらリハビリをしても現状維持や悪い変化をできるだけ起こさないためのものになってしまうから思い悩むこともあった。しかし、それでも前だけを見て一心にリハビリに取り組めたのも、主治医のおかげ。
最後、「ずっと診てきたのに何もできなくて申し訳ない」と言われたけど、自分でさえ諦めていた私の体の隙間に主治医が可能性を見出してくれたからこそ、私の今の体調があると思ったら、感謝しかありません。

また3ヶ月後、今度は引き継いでもらった、別の医師での診察です。
でも、主治医が変わっても私の目標は変わらないので、頑張ります。

そして今までの通院で主治医から教わった全てのことを自分の中にしっかり持って、いつかお会いした時に、先生に「この子のリハビリを継続にして良かった」と思ってもらえるような身体になっていたいと思いました。


「ありがとう先生。私は変わらず進んで行きます。」

※今でもリハビリは、「疾患別日数制限」に基づいて行われています。

※脳性麻痺を施設基準上「脳血管疾患」と「障害者リハビリテーション」として算定した場合は、日数制限の除外対象疾患となります。

※「運動器疾患」として算定した場合は、発症・手術・急性憎悪を機にリハビリ日数の算定が可能です。医師がリハビリを必要と判断した場合にも、一か月に13単位を超えない範囲でリハビリの継続が可能です。


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脳性麻痺が永続する障害であるが故、今の医学では完治が望めないことはご理解いただけたと思います。

「じゃあ、どうすればいいの?」ということになりますが、脳性麻痺と診断されてから、リハビリが始まります。
脳性麻痺は発達段階における障害ですので、幼少期のリハビリは、「機能の回復」よりも「機能の獲得」が目的になります。そしてその後は、「障害があっても不自由なく生活できること」を目的に、日常動作の獲得や安楽な姿勢の指導、過度の負担を避けるために運動療法や装具療法などが行われます。


◆リハビリとは◆
治療段階を終えた疾病や外傷の後遺症を持つ人に対して、医学的心理学的な指導や機能訓練を施し、機能回復や社会復帰を図ること。


PT(physical therapy )理学療法:マッサージ・温熱・電気などを用いる物理療法と、筋力増強・機能訓練・歩行訓練などの運動療法がある。それらを組み合わせて、運動障害の回復・改善を図る治療。
OT (occupational therapy)作業療法:病気や外傷からの回復を助けるために行われる。作業・仕事・運動・リクリエーションなどを含む治療活動。 
ST(speeach therapy)言語療法:言語機能の回復と獲得のための治療。

※昔は「上肢は作業療法士・下肢は理学療法士」という見方もあったようですが、最近はあまり区別した見方はしないようです。

※装具治療に関しては技師装具士が担うことが多いですが、理学療法士が担える場合もあるようです。


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  出生から現在に至るまでざっと、遅ればせながら自己紹介です。

●低出生体重児
長年、早産が原因で脳性麻痺になったと思っていた。しかし、23歳で初めて神経内科に行き頭部MRIを撮った時、「大脳皮質形成異常」と「巨脳症」であることが分かった。このことにより、私の脳性麻痺になった原因は、周産期ではなく胎生期にあったと言える。

●小学校3年生
尖足改善を目的に、入院・アキレス腱延長手術・リハビリをした。新学期が始まって1か月半位の間に、学校では「とけい」の勉強が始まった。自分はその遅れが原因で、理数系教科ができなくなったと今でも思っている。

●17歳
高校2年生の春頃から腰痛を感じるようになる。当時はまだ自分の障害を一切知らなかったので、「脳性麻痺の二次障害」に関しては頭になかった。整形外科を受診したものの、麻痺の程度があまりに軽微だったために、正しい診断はされなかった。原因も分からないまま、日に日に強くなる腰痛と共に学生生活をしていた。

●18歳
腰痛の原因を知りたいとネットサーフィンをして、自分で「脳性麻痺」と「二次障害」という言葉を見つける。「足が悪いことが腰にも影響しているのだろう」と気づき、小学生の時に通院・手術入院をしていた病院に連絡をした。当時お世話になった理学療法士さんに、「腰痛の原因は歩行時の腰椎の過度の前湾」と教えてもらうことができた。姿勢改善のために、同病院にて足底板治療開始。


●20歳
自分の障害が「脳性麻痺」であると知る。それまでは、先天的な足部の骨形態異常「垂直距骨」だと思っていたが、たまたま受診した整形外科医が「垂直距骨はそれ単体で発生することは少なく、何らかの基礎疾患があるはず」と教えてくれた。これを機に、通院先にも聞いたところ、「何らかの原因で脳の運動野が傷つき、下肢麻痺がある」と教えてくれた。この時初めて、自分が「脳性麻痺」であることを知った。

●21歳
徐々に体調も落ち着き障害受容もでき始めていた21歳の秋頃、若年性乳がん患者会『ぱんだ会』の方々と出会った。疾患は違えど、同世代の方々が活動する姿を見て、「一人でも多くの人に、脳性麻痺という障害を知って理解してもらいたい」「健康の大切さを伝えたい」と思うようになる。以降、脳性麻痺の二次障害を中心に記載したブログを開始。4年間続けたものの、肘部管症候群を発症したことで中断した。

●23歳
大学時代に取得した教員免許を活かし、学童保育指導員として就職。身体障害者手帳は取得できなかったため、社会人1年目は一般就職。「日常生活・業務に支障はありません」と言いつつヒールを履いての就職活動は苦労もした。しかし、「障害を克服した根気強さを仕事に活かしてください」と言われ内定をいただいた時は、「障害も開示の仕方によっては強みになるんだ」と実感した。

●25歳
通院に理解ある職場ではあったが、身体的に大変さを感じたため学童指導員を退職。「次の仕事は障害者枠で就職しよう」と決意。日々変化していく症状をきちんと理解された上で働きたいと思ったことが、身体障害者手帳を取得しようと思ったきっかけ。障害者枠での就職活動の結果、病院事務として再就職する。

●26歳
再びブログを開始。以前は「一人でも多くの人に脳性麻痺という障害を知って理解してほしい」という想いがあったが、「想うだけ・綴るだけでは、何も変わらない。実際に行動を起こさなければ」と思うようになる。障害を持ったことを1つの使命と捉え、脳性麻痺という障害に関して理解を求めながら、「今度は実際に社会と繋がる活動をしたい」と考えている。

麻痺の程度は非常に軽微ながら、小学校3年生で1度手術をしていること、17歳の時に二次障害のきっかけとなる腰痛を発症したことがポイントかと思います。
そして、21歳で『ぱんだ会』の皆さんと出逢えたことも、私が脳性麻痺者生活を送る上では、大きなターニングポイントでした☆


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9/21(日)、東京で行われた「脳性麻痺当事者の会」に参加しました。
以前からずっと思っていたこと。
今日は、当事者会に参加してさらに強く考えたことを一つ記載します。

脳性麻痺は今の医療・特に成人以降においては、専門的に見てもらえる診療科が少なく、たらい回し状態にあるということ。

小児期の脳性麻痺の治療は比較的充実していますが、成人期はそれに比較して、フォローされる機会が格段に減ると実感しています。

■成人脳性麻痺者がぶち当たる壁

.自治体や病院にもよるが、15歳・18歳・20歳頃などある程度成長が止まった・成長がひと段落して成人に近づいたと考えられた時点で、医師から「もう来なくていいよ」と告げられ、リハビリは終了する。
.脳性麻痺児本人も、学業優先になりリハビリに通わなくなる。
.二次障害で身体の様々なところに問題が発現する。
.やっと病院に行こうと決意するも、診療科に迷う。
.主な症状が身体の痛みや痺れなので、とりあえず整形外科に行く。
.整形外科の医師に経緯を説明するも、「脳性麻痺は神経内科のほうがいいかな?」と言われる。
.神経内科に行くも、医師に「脳性麻痺は確かに脳分野ではあるけれど、神経内科は主に脳卒中・脳梗塞・神経変性疾患、認知症を診察する診療科だから、先天的なことであれば昔診てもらっていた小児神経科・小児整形外科がいいんじゃないかな?」と言われる。
.成人後に小児神経科や小児整形外科を受診することは年齢的に相応しくなく、幼少期から継続的に診てもらっていない限り、受け入れてもらえないことが多い。
.昔診てもらっていた医師は職場異動や定年退職で既にいないか、場合によっては病院自体が潰れている場合もある。 
10.二次障害の診察とリハビリのために、整形外科に戻る。 
11.今までの経緯を説明し、脳性麻痺を専門的に診れるのは整形外科ではないことを理解した上で、整形外科に受け入れてもらう。
12.定期的な診察や体調維持の為のリハビリ目的にリハビリを受け入れてもらえるも、就労の状況により頻繁に通えないことが多い。
13.診療報酬やリハビリ日数制限に引っかかり、リハビリ継続が困難な場合もある。 
14.受診先が見つかっても、担当医や担当療法士の異動・退職・高齢化などの問題で、今の状況が将来に渡りずっと続く訳ではないので安心しきれない。
15.良心的な医療機関に恵まれたとしても、リハビリ継続や自身の体調に関してどこかで「このままでいいのかな?」という思いを抱えながら、生活している。

■上記の壁にぶち当たると考えられる6つの要因

自分が診てもらえる病院を探して一件一件当たり、受け入れてもらえるところを探している現状。
脳性麻痺を専門的に診ている病院は少なく、探すのには時間と手間がかかる。
脳性麻痺を専門的に診ている医師は少なく、その他の医師は脳性麻痺には明るくない。
成人期の診療報酬が幼少期に比べて低いこともあり病院にとっては採算が見込めず、成人以降の脳性麻痺者を積極的に受け入れている病 院は少ない。
今の医療では治らない疾患でありながら、成人以降の脳性麻痺者をどこの診療科が担っているのかがはっきりせず、頼みきれない。
世間一般に脳性麻痺という病態が理解・浸透していなく、脳性麻痺に対して国や自治体のフォローが十分とは言えない。

上記の記載はすべて持論ではありますが、二次障害に直面した脳性麻痺者が一度は経験したことのあることかもしれません。
そして、今回参加した当事者会の皆さんも、自身の障害に関して模索している人たちの集まりと言えるかもしれません。

でもこうして同障害の方たちと出逢う前は私は1人で悩んでいたし、いち年のうち何度か、街で自分と同じ歩きをする方を見かけるくらいでした。

脳性麻痺は一人一人症状も違うので、「自分と同じ症状・障害の人は一人もいないんじゃないか?」と思う毎日です。

でも、どんなに辛いと思うことも、最後は自分で決断するしかないにしても、近くに同じ障害の方がいて同じ悩みを共有できるというだけでありがたいです。
そして、『脳性麻痺』とは、「未だに明確な治療法が確立していないにも関わらず、対症療法すらスムーズに受けることができない疾患である」ということを、一人でも多くの人に知ってもらいたいと切に願っています。


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