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豚しゃぶサラダを作りました!
去年、夏はいつも作って食べているサラダうどんを挙げたのですが (↓)


その関連で調べてたら、下の麺が中華麺になっている棒棒鶏麺を発見♡

棒棒鶏すごい好き!!
棒棒鶏麺美味しそう♡

と作ろうとしたのですが

「ん?」

「棒棒鶏のタレを麺に絡めるのは(例えばcook doとか)タレ硬くない?」
「じゃあ手作りしてもっと緩くするか?でもそれじゃ冷やし中華じゃん?」
「下が中華麺じゃ、上に乗ってるのが普段と違う具な冷やし中華じゃん」
「棒棒鶏麺なんだから、もっとサラダっぽくしてドレッシングかけるか?」

「ん?」

「ドレッシング?ドレッシングじゃ普通のごまドレサラダじゃん!」となり 笑
「じゃ野菜だけ!豚しゃぶサラダということで」と今日の記事なのです 笑
そもそもササミですらなく、写りの良い豚肉を選んで、豚しゃぶサラダ^^;

トマトを湯剥きして、スライスしたあとにお皿の外側に丸くずらして並べ、その上にきゅうりの細切りを乗せたら、空いた真ん中に豚肉をドーン!

完成です♡ 笑

豚肉だけは、お湯が沸騰しているところで湯がくとパサパサになってしまうので、沸騰後に、火を止めたお湯の中でしゃぶしゃぶしました♪( ´▽`)
ボコボコ沸き続けているお湯よりは、しっとりと仕上がったと思います♪

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今月は…
私が9歳の時にアキレス腱延長手術をしてから、20年が経った月です。

ヒュー\(^o^)/
祝!20周年~♡

記念だね記念☆
入院日が7/12で術前検査日が7/13?手術日は7/14だった気がします。

20年かぁ。

20年って言うけど、20年って凄いなぁ。
20年って何?言葉以上に昔過ぎる 笑

9歳だった女の子が来年は30歳になるんだから、そりゃ皆老けるよね 笑

でも、あの日から20年経ったんだって。
過ごして来れちゃうもんなのですねぇ。

一般の整形外科で沢山の大人の中に子ども一人だったから皆が私を大事にしてくれて、痛い辛い苦しいなどマイナスな思いは一切無かった私。
「お別れは寂しいから退院したくない」とは泣いたけど、鈍感なのか騒いでも無意味だと思ったのか、入院中治療のことでは一切泣かなかった。

病院なのに今振り返っても楽しい思い出しかなくて、配慮に感謝です。

当時の私を担当してくれた医師やPTさんとは今でも繋がりがあるけど、

装具の型取りをする度に「頑張ったね」と言ってキャラメルをくれた装具士さん・毎日明るい笑顔でお世話して下さった看護師さん・私に特別室を譲ってくれたおじさん・夕方に車椅子での散歩で入った雑貨屋さん・リハ室前に立っていていつも行くと声を掛けてくれたリハ助手のおばさん。

みんな、今どこで何してるのかな。
分からないけどお元気だといいな。

って。

一昨年は不思議な縁で、私の入院中に理学療法士養成校の専門学生として実習に来ていた方と、なんと、18年振りにお会い出来たんです!
9歳の頃の私と私とのやりとりまで覚えて下さっていて、18年振りにも関わらず当時の面影が残ってると言って下さり本当に有り難かったです。

入院前に親友と入院に必要な物を一式揃えに買い物に行ったことや入院中に学校や近所の友達から手紙が届いたこと、担任の先生がお見舞いに来てくれたことも覚えているし、人だけではなく、入院中の一日一日の小さな小さなエピソードも昨日のことのように忘れてなくて、当時の病院の待合室やリハビリ室のにおいやレントゲン台や手術台の冷たさ、消灯後の廊下の静けさ等、懐かしい空気感を思い出すこともよくあります。

それからは毎日が楽しいだけだった笑顔いっぱいの子供の頃とは違い10代後半~20代前半は色々と思い悩み、「死にたい…」と言ったこともあったけど、何度もその危機を乗り越えて29歳になり、周囲の方々の支えのお陰でこうして20年目を迎えられたこと、本当に感謝だと思います。

そして何よりも当時一度手術をしたきりで再び尖足になることはなく、状態を維持したまま生活出来ていることが、一番有難いかなと思います。
医師が体の成長をきちんと予測した上で、尖足再発や再手術の必要がないよう適切なアキレス腱の延長度合いにしてくれたことに感謝です。

アキレス腱単独延長については賛否両論ありますが、あの時に手術をした結果今の状態であることが、ベストな選択だったのだと思ってます。

画像。

入院中当時の担任の先生から届いた手紙、今も大事に保存してます。
(私の名前が漢字表記だったので、「~さん」のところは消しました。)

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手紙の9/1という記載より実際の退院日はもっと後だった気がしますが。

感謝ですね。

当時は自分が脳性麻痺なんだとは知らなかった私なので、まさかこの手紙の通り、今でもリハビリが続いているとは思ってもみなかったけど^^;

私は理学療法士を目指していたため、本来なら同業者か同じ職場にいたはずなのに叶っていないので良い報告が出来てる人生でもないけど、

何年経っても夏になると9歳の夏の入院生活のことを思い出します(^^)

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私が脳性麻痺を患う原因となった、片側巨脳症(へんそく - きょのう - しょう )という疾患。

分かってるだけで全国に患者数が100人未満しかいなく、数年前には、片側巨脳症に起因する希少てんかんに関する研究班も出来たとか。

最初は「私が難病???」「希少疾病???」「疾患研究班???」「説明を読んでも病気の症状が私の現状と異なる気が???」と思ったんだけど、私のMRIを見たレベルの高い病院の神経内科医(しかもベテラン医局長)が「片側巨脳症だね」って言うから、「そうなのか」で仕方ない。

診察室にスタスタ元気に入った私を外見だけでは一切脳性麻痺者だと信じてくれない時にでも、画像では指定難病なんてこともあるんですね。
疾患に対しての知識や理解がまだ私自身浅いのでここでは詳しく説明しませんが気になる方はご自身で調べてみて下さいね。(指定難病136)

凄いな。

何に驚きかって、私は母の妊娠中、出産ギリギリまで健康に育って、いざ出産をしょうとした時に上肢の脱出が起きたために緊急搬送・帝王切開 → 低酸素状態・低体重出生となっているから、ずっと原因は周産期にあると思っていたのに、それが根底から覆ったことがビックリだった。

まぁ、上記の出産でもそもそも出生日は予定日よりも1ヶ月半位早いという問題はあるし、出生までの経過がどうだったのかが私には詳しく分からないけど、まさかの胎生期(カラダのカタチが正常に作られる時期)の異常で脳奇形児だったとは、「初期の問題は無かったの?」って感じで。

とにかく私のMRIは、片側巨脳症の画像を呈している。

(ちなみに親族も周産期の異常だと思ったままで本当は胎生期の異常であることや片側巨脳症という病名を知らないどころか脳性麻痺の詳しい説明も受けていないので、私は未だに脳波を撮ったことがないんです)

読んで字の如く、片側の脳みそだけが巨大化していて、その巨大化した脳みそを頭にを収めないといけないから、頭蓋骨までが巨大化してる。
頭蓋骨と脳の大きさは正常ではだいたい均等だろうに私はあからさまにサイズや内容量が違うから、不均等な頭は、左右でカタチが全然違う。

う~ん。伝わりましたかね?
ちゃんと説明できてるかな?

私に会ったら頭のカタチを見てもらえばいいのですが(笑)後頭部が出っ張ってます。問題は左側らしいですが、右側の方が位置が高い気が。

私はずっと自分の頭のカタチを、人それぞれ顔や背格好が異なるのと同じだと思って異常だと気付かなかったのだけど、社会人一年目で頭痛を起こした時にMRIを撮ったら担当して下さった放射線技師さんが出てきた私を介助しながら、「頭のカタチってさ、今まで誰かに何か言われたことある?後頭部出っ張ってるの、気にならない?」と言われたのが最初。

その時私は片麻痺性偏頭痛の発作の真っ最中だったしフラフラだったので、そんなこと聞かれても頭にはハテナマークがいっぱいだったけど、技師さんは先に画像を見ていて脳奇形に気づいてくれていたから、脳奇形がハッキリ分かるように、機転を利かせて医師が指定した撮影角度とは違う向きで撮ってくれたのは有難いことでした。技師さんナイス! 笑

(また頭痛も、普通の偏頭痛ではなく片麻痺性偏頭痛という発作中に片麻痺が起きる辺りが、私の脳が普通でないことを示してるような気がする…。ホントに私の脳は麻痺が好きだね〜 笑 脳梗塞の発作と瓜二つな片麻痺性偏頭痛を起こして以来、発作が恐ろしくてお酒が一滴も飲めないのが地味に辛い>_< 片麻痺性偏頭痛に罹る前はチビチビ缶チューハイを楽しんでいたけど、またいつか晴天のビアガーデンでジョッキから一気飲み出来る日が来たらな 笑)


そんなこんなで、私が感じる日常生活で面倒なことは『髪を結ぶこと』
私のアタマのカタチがヘンだから、なかなか髪型が決まらないのです。

まぁ私なんて癖っ毛でいつも髪型がボサボサだし、顔も大したことない顔だから、髪のセットに時間をかけたところで何だって話ですが( ̄▽ ̄)
何だかここ数年は、毎日頭のカタチが変わっていく気がするんです! 笑

毎日顔が変わる赤ちゃんじゃないのにね。上肢の巧緻性が日々落ちてるからだと思うけど、外出前に嫌という程時間が掛かるのが、髪結び

で、時間がかかったからって、ステキな髪型になる訳ではない( ̄▽ ̄)

「華美である必要はないけど、障害者であれば尚更、人に不快感を与えない身なりが大事だと思う」と考えれば考える程、髪型が決まらない^^;

そんな私の頭のカタチや髪型を見て叔母が私に「見て、ネェネ(私の呼び名)の頭頂部!いつもふんわり高々なの、いいよね~。憧れだね♪世の中の人なんて、いかに頭頂部を盛るかに苦労してウィッグ乗せてるんだよ(笑)ネェネはその点一生悩まないんだから幸せ者だね♡そこだけ皆にちょっと分けてほしい\(^o^)/」と言った時は意外で、救われました。

疾患のことを知ってか知らずか、親族の中でも、特に障害に関して前向きな考え方をする叔母にはいつも助けられていますが、最近の私は…。

「私の後頭部よ引っ込んでくれー!」

見た目は一切気にしてないんだけど、
時間がない時の、心の叫びでした 笑
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思い詰めてるとかではなく、ふと思って書き留めた何となくな気持ちで、

前の主治医の先生に会いたいなぁ~って。

変な意味じゃなくて、今までお世話になった先生が沢山いるから、ふとした時に、「あの先生、今はどうしてるのかなぁ?」と思う方もいるんです。

以前の主治医は、本当に良い先生だったんです。医師としての技術以上にいつでも気分と対応にムラがなく、ただ安心して治療に集中できた。
受診中は「私が世界で一番良い先生に診てもらえてる」と思い、お別れの時は「先生以上の医師には今後出会わないだろう」思った程でした。

物凄く忙しい病院だったけど、コミュケーション下手な私に嫌な顔ひとつせずとことん向き合ってくれたから、患者の私は良い思いしかしなくて。

いつも思うけど、医師も療法士も、良い先生は皆、遠くに行っちゃうなぁと。良い先生ほど近くにいなくて、どんどん遠くに引き抜かれてくなぁと。
もちろん、都会の忙しさからは離れたいとか割に合わないとか色々な理由で故郷に戻っちゃうっていうのもあるのかもしれないけど、淋しいね。

もちろん、今担当して下さっている医師や療法士さんにも感謝ですけど、
「戻って来て~」って人いっぱい 笑九州に恩人が沢山いるんですよね 笑

試練だな。

今は私一人で頑張って、いつかまたお会いできた時に、「今はこんな体調になりました!頑張ってます(^^)」と良い報告が出来るように過ごす。

なんてね。

治療に息詰まると思い出すの、本当都合が良い勝手な記憶ですよね 笑
でも、「先生なら今の身体に何て言うのかな?」と思うこともあるんです。

前の主治医の時は足痛も難しくなく、痛くなったとしても比較的すぐに消えていた気がするから、先生が診ていた頃は、長期の足痛は無かった。
「今の私を知らない先生が【ずっと足が痛い!】を知ったら、何と言うのかな?どう診るのかな?解決するのかな?」と、たまに頭をかすめます。

診てもらいに行こうかな?
って、本気で思うことも…。

アドバイス欲しいな~>_<

おまけに…。

当時の主治医の詳しい説明を聞き今の知識を蓄えた訳ですが、意識が変わる前の診察中の酷い態度の話を知らない方は →リンクへどうぞ 笑

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