「リハビリ生活に燃え尽いているんじゃないですか?」と言われることや、自分でも「これって燃え尽いているのかな?」と思うことがあります。

本当に体調が悪い日や交通機関の遅延ならまだしも、主治医の先生とも療法士さんとも相性バツグンだと思っていた大好きな病院に行かなくなった日は、自分でもビックリでした。
「行かなくてもいいや」と思っている自分に焦ったのではなくて、「行かなくてもいいや」と思っている自分に全く焦っていないことに焦って。

かと言って「ハビリしなくてもいいよ」と言われることは、今までの努力が水の泡になったり不安や焦りにつながってしまうから、嫌なのです。

気持ちが向かずに家を出るから実際に遅刻することもあるのですが、それでもまだ受付時間内だから、診察に「遅くなってすみません!」と入って行くと、「全然~!」と言って普段通り接してくれる主治医に申し訳なく、感謝もしたのです。

これは一昨年の夏から昨年の秋までの話。
今はまた毎日、頑張れている気がします。

先日何度か遅刻して受付をした時「次回からは予約を新たに取り直して下さい」と言われた時に焦りがなかった時は、「またやる気をなくしたリハビリを徐々に終えるのか」と感じました。
しかし、動作誘導をして下さるために、馬乗りになって引き上げてくれたり、治療台の上に立って支え負荷を掛けたりと熱心に指導して下さる療法士さんのことを思うと、「私も頑張らないと」と思うのです。

気付いてみれば、ブログでも報告していたスニーカー探しも辞めてしまい、自宅リハビリも中途半端。
きちんと拝見させて頂いているのですが、ブログのコメント返信も遅くなってしまいすみませんでした。
今は諸事情あり、たとえリハビリをして体調が回復したとしても、すぐに復職することはできないんです。
次に繋がらない生活のどこかに、「こんなことして何になるんだろう」という思いもあるのかもしれません。

また私の考え方も“0”か“120”しかなく、「ゴールまでストイックにやり続ける」か「無理」どちらかしかない。
そんな私に「10でも20でも少しずつ進めたらそれでいいんだよ」と教えるために、私が脳性麻痺を患った気もします。

焦らず少しずつ進もう。


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◆人生編◆

1.Q:生まれてきたことを幸せだと思いますか?
 A:「生まれてきて良かった」と心から思える人生にしたいです。

私は、過去も現在も沢山の温かい方々のおかげでここまでこれたことを、本当に感謝しています。
本人にとって辛いこと・大変なことがある時は誰しも人生を悲観するものですが、最期人生を終える時に、「生まれてきて良かった」と心から思える人生にしたいです。
そして、たとえ辛いことや大変なことがあったとしても、「今生きていること」が奇跡であり、幸せなんだと思います。
脳性麻痺や病気・障害のことを考えると、生まれたくても助からない命もあります。その点、自分の命の有難さを感じます。

2.Q:毎日、いいことありますか?
  A:感覚は障害の有無に関わらず、皆さんと同じだと思います。

私が健常者の方に、「毎日いいことありますか?」と聞いてみたいです。
健常者と障害者の違いを強く意識され、「両者は全く違った感覚を持っているのではないか?」と思う方もいますが…。
私は、おそらく「変わらない」と考えています。
小さなことを感謝したり喜んだりできる素敵な一日を積み重ねたいです。

3.Q:障害について、親を憎んでいますか?
  A:憎んでいないです。憎んでも何も始まらないと思います。

私の好きな歌手、熊木杏里さんの『私をたどる物語』を聴いた時、本当にビックリしました。
『違う親から生まれていたら、違う自分になれたと言う。だけどやっぱり君は違うよ。そしたら君はいなくなる』という歌詞です。

全てが上手く行くわけじゃないから、親を憎みたい気持ちも分からなくないです。でも、憎んでも何も始まらないと思うんです。
世の中が健常者中心で回っているから、障害があるということがマイナスに捉われてしまいがちです。でも、変えるべきは『自分の心持』と『環境』だと思っています。
環境がなかなか変わらず・変えられず「障害がある」ことが当たり前になっていかない社会に対しては、もどかしさがあります。

4.Q:普段生活している中で、人の視線は気にならないか? 
A:気にならないです。

街を歩いている時や公共交通機関を利用する時に、人の視線を感じることはあります。また、病院を受診すると街中に比べて人の「ジロジロ視線」を感じます。
でも、あまり気にならないです。全ての人が奇異な目で見てはいないと思っているから。
病院では「あの人どこが悪いんだろう」という、待ち時間の手持ち無沙汰もあるのではないか。また、街中では「中には温かい視線もあったらいいなぁ」と思っています。
逆に、周りの歩行者との歩幅が合わず靴のかかとを踏まれた時・階段を下りている時に逆走してきた他の利用者の方とぶつかり、手を離せずにいると文句を言われた時・優先席を利用していると「どけ」と言われた時などは、未だに傷ついてしまいます。


           ◆身体編◆の質問と答えもどうぞ!


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昨日、「どのように障害受容をしたのか?」という質問をいただいたので、20歳の時の障害受容に関して、記載しました。



私は、障害を持って生まれ・生きていくことは、「私の使命」と捉えることで、障害受容をしました。


私は、幼少期から「足が悪いということは何らかの障害や病気なのか?」ということが分かっていました。

学生時代に授業の一環で自分史を作る時などに母子手帳を見る機会が何度かあったので、その都度ある程度の傷病名について見当を付けていました。
一度母親に「私の病気って何?」と聞いた時、「医師からは垂直距骨と言われたよ」と聞いたことがあります。でも、それ以上は「そんなこと聞いて何になるの?」と叱られたことがあったので、聞かないようにしていました。
「垂直距骨という名前の病気か」と思ったり、自分の足が内側に向いていたので、内反足についても調べました。

腰痛が出て治療を始めたのは18歳の冬でしたが、その頃になると様々な壁にぶち当たり、「自分の障害名を知らされないまま」では耐えられなくなっていました。
その後も暫くは障害名を知らないまま通院をしていましたが、たまたま足の不調で別の整形外科で診察を受けた際、医師から「垂直距骨はそれだけで発症することはない。何らか大元の障害があるはずだから、担当医に聞いたほうがいい。それに、レントゲンを見る限り、明らかに垂直距骨と言える状態にはない」と言われたのです。

それによって私は、母から聞いた垂直距骨という障害名や調べていた内反足という障害名が、本当の障害ではないことが分かりました。
また、それまでずっと悩んでいた私でしたが、医師の言葉で「本当の障害名を聞く」ことを後押しされた気がして、決心が着きました。

脳性麻痺と聞いた時は、頭が真っ白でした。「脳性麻痺だけは絶対違う」と思っていたので、まさかでした。

普通学級で教育を受け続けた私にとって、脳性麻痺とは重度障害者の印象があったし、教師を目指し大学で教職課程を履修していた私が、ボランティア・介護体験・特別支援学級訪問などで関わらせていただく相手が、脳性麻痺なのです。
正直なところ、まさか自分が別世界だと考えていた相手と、同じ障害を持っているとは思いませんでした。
それに、垂直距骨や内反足であれば足部の形態異常なのに対して、脳性麻痺であれば大元が脳機能による障害なのです。単なる形態異常と脳機能の異常の違いや脳性麻痺の詳細については、障害児に関する本を読んでいたこともあり、よく分かっていました。

私はずっと、「足が悪いとはいえ頑張れば治る・治せなくても生活に支障がない状態でいられる」と思っていたし、18歳で腰痛治療を始めた時も、ゴールは「治す・治る」だと思っていました。
だから、「脳性麻痺だから治らない」と知った時は放心状態で、地獄そのものでした。人生で一番のドン底だと思いました。
「聞かなければ良かった」と思ったことも何度もありますし、誰からどんな励ましを言われても納得できず、落ち込んだまま、立ち直れませんでした。

でも、病名を聞いて1年程経つ頃に、「(障害を持って生まれ・生きていくこと)それがあなたの使命だから」と言って下さった方がいました。

それまでは誰が何と言っても立ち直れなかったのに、「使命」という言葉を聞いて物凄くスッキリして、やっと視界が晴れた気がしました。
それからは自分の障害を「使命」と捉え、「宿命を使命に変えて生きていこう」と、決意や覚悟ができました。
病名を成人してから知らされたので、きちんと検査してこなかった分今明らかになることも沢山あるのですが、過去に一生分泣いたし、これからも「何があっても大丈夫」と腹をくくれるようになりました。

脳性麻痺の原因となった脳奇形の跡と病名が分かったのが、23歳で頭痛を起こしてMRIを撮った時です。そのことで、20歳の時に脳性麻痺と言われたことに対する確定診断がされたような気がします。
なぜ垂直距骨と診断され、脳性麻痺と言われなかったのかについては、最初の医師が気付かなかったのかなと思います。障害の程度が非常に軽く、私を初見で脳性麻痺だと分かる医師はまずいないので、出生後なら猶更かなと思っています。

両親も、医師から言われた診断名を、長年疑うことなく過ごしてきたのだと思います。


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就職活動をしていると、
人との出逢いに感謝したくなる。

与えられた一瞬一瞬を
大切にしたいと思うようになる。


そして、時々、
“人の役に立ちたい” “力になりたい”

そんな想いが先行して、
涙に変わることがある。


どうしても叶えたい夢や情熱は、
涙じゃなくて、笑顔に変えたい。

自分自身の力に変えたい。
微力でも “社会を支える一員になりたい”

そんな想い、持ってもいいよね?
今はただ涙に変わるみたいです。


変わらない力に変えたい。
私も「人の役に立ちたい」


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今考えれば、幼稚園卒園の頃から「先生になりたい」と言っていた私。

内容はコロコロ変わるものの、日々温かい先生方に支えられてたから、早くから憧れていたかもしれません。

「学校の先生・病院の先生・PT/OT・看護師のどれかになりたい」と言っていました。
年齢が上がってもその想いは変わることはなく、中学校の時に1人の先生との出逢いで教師を目指しました。
その想いは本当に強く、長く変わることはありませんでした。
途中で志望教科を国語から英語に変えましたが、高校の半ば位までは、教師になる進路を考えていました。

高校3年生になって進路について真剣に考えた時に、「教師になりたい」と言っている自分の気持ちの大半が、恩師に対しての憧れであると気付いたのです。
「先生のことが好きだから、私も先生になりたい」と言うのは子供で、「そういう気持ちを抜きにしても教師を目指すのか」考えたら、気持ちが乗りませんでした。

だから進路を考え直しました。
でもその答えは簡単で、すぐに「PTになりたい」と思いました。

考えてみれば自分の体験からして幼少期から病院職にも興味がありました。また、その時は腰痛治療の真っ最中だったので「障害のある私だからこそ、PTになるべき」と思いました。
指定校を沢山持っていた私立の高校に在学していた私は出願先を変えればいいだけの話で、すぐに希望する専門学校を見つけて、入学試験の勉強もしていました。

でもそのことを母親に伝えると、大反対だったのです。

「PTになるから、専門に行くね♪」と言った私に、「ダメ!」と。「は??あんた今まで教師になるって言ってたんじゃないの??」と。
「いくらかかると思ってるの?」から始まり、猛反対され続け、PTは体力仕事との思いで心配だったのか、しまいには「専門に行くならお金は出さない」と言われました。
大ゲンカ・大号泣の末、推薦入学まで決まっていた学校の願書を入試前に破り捨て、進路変更をする羽目になりました。
当時は奨学金のことを考えていなった私ですが、今考えれば、奨学金を借りてでも入学すべきだったと思っています。

再び進路を教師に戻した私はやる気ゼロ。

志望校をなかなか決められない私、担任の先生に聞かれて返した言葉が、「もう、どこでもいいです。」
「どこでもいいことはないだろ。真剣に考えろ。」と言うから、「真剣に考えた結果、出した結論の進路に猛反対されたんです。その気持ち分かりますか?他になりたいものはないし、行く所もない。」と返しました。
あとで担任の先生から聞いた話では、「あまりに本気の言葉と本当にどこでもいいようなギリギリまで動かない素振りに焦った」ようで、結局は先生が私に1校提案してくれました。
そして願書締め切り当日に郵便局に滑り込み投函して、本当にその学校に進学しました。

「自分の障害が原因で、中学校~高校の間に他人を説得させるだけの体力や能力を身に付けることができなかった。だから専門学校に入学できなかったんだ。勉強や部活だけじゃなくて、リハビリもしていたら…」という思いが、今でも消えません。
そういう悔しい思いが原動力になっているから、大学在学中もリハビリを続けながら、何冊もの専門書に目を通して勉強してきました。そして、今でも障害やリハビリについての情報収集が楽しくて仕方ないし、今後、社会人入学も考えています。

「リハビリは手段であって目的ではない」とよく言われます。

でも「脳性麻痺者である自分へのリハビリ時間は、PTになれなかった自分を納得させるために使おう」と思っている私にとって、リハビリはそれだけで大きな目的です。だから、止めることはできないのです。

もし私がPTになっていたとしても、体調や能力を考慮すると、いつかは辞めなければいけない時が来ていたと思います。
だとしたら。今、脳性麻痺者である自分自身に対するリハビリをするほうが、余程リハビリのことを学べていると実感しています。

だから、今は今で幸せです。

でも・・・。

一度しかない人生、障害の有無にかかわらず、楽しんだ者勝ちです。
これから進路を選択する方には、後悔だけはしてほしくないんです。


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足がビリビリして、なかなか眠れなかった昨日の夜。
起きてからも相変わらずの膝痛で、湿布を貼った朝。

昨夜、病院リハビリで「自宅でもやってくるように」と言われた内容を試してみたのです。
病院では代償も筋緊張も出さずに、筋力だけが鍛えられる。帰宅後からは筋肉痛付きで!

家でやると、ちょっと動きを間違えただけで筋緊張が出ちゃうのに。
病院では鍛えたい部分だけに負荷が掛かるから、さすがはPTさん!

「マッサージをするよりもトレーニングを積み重ねたほうが楽しいよね。適度な疲労感と課題がモチベーションになるし、すぐ分かる変化が達成感に繋がるから。」と言うPTさん。
「そうだね。」そして「いつも本当にありがとうございます。」きっとPTさんの言葉は、私に向けられたものでありながら、先生本人が自分を納得させるものでもあるんだと思う私。

中枢系疾患の慢性期は、なかなか結果に繋がらない。だから、療法士さんも治療効果に悩むことが多いと思う。
私も若いPTさんに対しては、尚更「結果で恩返ししてあげたい」と思う。だけどそれがなかなか出来ていない。

己の至らなさ。それだけ。

それでも適度に汗ばむトレーニングができる体力と、プログラムを組んでくれているPTさんに感謝。
痛い思いをしながらボーっと壁を見つめなくていいし。「痛い」よりも「暑い」という言葉が出ただけ、その日のリハビリは成功だと思う。

頭を持ち上げる腹筋では首の痛みに繋がってしまうから、寝返りやうつ伏せ・四つ這いのゆっくりした動きで腹部を刺激するしかない今。
動くと力の入り方が「左右:9:1」になってしまうこと・仰向けで膝を立てた時に「真ん中」が分からず、目で確認しない限り脚が右側に流れてしまうのが、今の課題です。
上記の課題は筋力の左右差故なんだとか。下肢だけでなく体幹にも左右均等に筋力を付けるように頑張ろう!

自宅では今、毎日地道に作業中です。

今まで脳性麻痺と向き合ってきた日々を忘れないために。「一人でも多くの人に脳性麻痺という障害を知って理解してもらいたい」と綴ってきたブログを、無駄にしないために。

逸る気持ちはありますが、毎日少しずつ頑張っています。
お伝え出来る日までもうすぐ。皆さん待っていて下さいね。
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中学生~高校生の時、高い所が怖くて怖くて、仕方なかったです。

体育館の舞台の上とか、合唱コンクールや吹奏楽コンクールで使うひな壇の上とか、パフォーマンスで足場の不安定な場所に立つ時とか。

腰痛治療を始める時に教えていただき下肢麻痺が一因だと気付くまで、周囲からはただの“あがり症”だと思われていて。
「もっと堂々としなきゃ!」とか「もっと自信持って!」とか「場数を踏めば慣れる」とか。「練習次第でどうにかなる」という精神的な要因で解決する問題じゃないんですε-(´∀`; )

下肢麻痺が原因で、左右均等にグッと踏ん張ることが出来ないんです。
下肢の過緊張が原因で、その代償として体幹を過度に反って反り腰で立つ分、景色が斜めに見えたり。
加えて「高い所は怖い」とか「見られている」という心理的な緊張で、身体に筋緊張が起きてしまうし。
身体のどこでどのバランスを取っているのか分からないような、フラフラとした不安定な雰囲気でした。
小学生の時は全く恐怖心を持ったことがないので、腰の反りが強くなってから難しくなったと思います。
ということは今のほうが怖くないかなとも思いますが、今は、下肢の筋力と支えが弱いので難しいかな。

一人で立っていると、身体が固まってきて徐々に目線が下がってしまい余計に恐怖心が増すのです。でも、「大丈夫」と支えてもらうと、心理的な安心と身体が安定するから、舞台スレスレに立つことも可能でした。

最近は視野欠損のことも分かったので、下側が見えていない分余計に怖かったんだろうなと気付きました。

不思議なもので、マーチングやパフォーマンス等で動いている時には、緊張しないんです。
「次の動き」に向けて絶えずカウントをしているから、緊張する余裕もないんだと思います。
舞台に立つ前に先生や友人と抱擁や握手をしたり場当たりをした場合も、緊張しませんでした。
舞台から見える景色やその場の雰囲気にあらかじめ慣れておけば、何とか大丈夫だったようです。

最初から障害とそれによる影響がが分かっていれば、それを周囲にも伝えて適切な対処もできたのでしょうが、まさか下肢麻痺が原因と思わないので、毎回毎回「嫌だなぁ」と思いつつ、ひどい時は胃痛がする程でしたε-(´∀`; )
冷や汗もので頑張っていましたが、今思い出しても嫌かもしれないです。
だから当時の自分には、「ホントに頑張ったね。無理しなくていいよ。」って言ってやりたいくらいです 笑

卒業式での舞台横からの階段昇降も難しかったのですが、
ひとつ前の順番の子に下で待っていてもらって、手を借りていました。
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診察中に膝のレントゲンを撮って思ったこと。
脳性麻痺者は、レントゲン撮影が苦手だと思う。

あくまで、麻痺の程度による筋緊張の出かたによるとは思うのですが。

脳性麻痺者の筋緊張は物理的な影響だけでなく、心理的な影響によっても強まります。

大勢の人から注目を浴びる場では、健常者でも「見られている」という意識で、身体がぎこちなく動いてしまうことがあると思います。
脳性麻痺者はもっと敏感で、筋緊張に関しては、ちょっとした刺激や心理的影響で、身体が突っ張ったり縮こまってしまいます。

レントゲンを撮る時に、「この位置で撮るので、このまま止めていて下さいね」と言われても、なかなか難しい。
怪我や痛みがある時に不自然な姿勢でいることは、健常者でも筋肉がプルプル動いてしまうことはあると思います。
脳性麻痺者の場合、「動かさないで」と言われたことで「止めなきゃ」と思い身体が力んだ瞬間に、ビクッと動いてしまう。
極端に動いてしまったら技師さんの狙い通りじゃないから撮り直しです。

私も以前身体が何度も動いてしまったことで、シャッターを押す技師さんの他に、動いてしまう足を他の技師さんの手で止めてもらったことがありました。
脳性麻痺者の方にも、「レントゲン撮影時に筋緊張が起きてしまい上手く臨めないのですが、どのように対応していますか?」と聞かれることがあります。

私の場合は、「これからレントゲン撮影だ」と意識しすぎると身体がビクッと動く要因になってしまうので、あまり過度に意識しないようにしています。また、レントゲン台との接地面が少ない不自然な姿勢が筋緊張を強めてしまうことがあるので、なるべくレントゲン台と自分の身体を近づけるようにしています。仰向けでも横向きでもうつ伏せでも、なるべく台と身体の接地面積を増やして、支えがある安心感を持つようにしています。

あとで技師さんに違う姿勢を要求されたとしても、最初に自分で台と身体を接地させて、感覚に慣れておくといいかもしれません。

大きな病院で経験が長い技師さんは、診断技能が高いと感じています。

3年前に頭部MRIを撮った時、医師が要求した撮影角度と違う角度で撮影して下さった技師さんのお陰で、脳奇形を見つけてもらいました。その時の脳性麻痺者の筋緊張にも配慮した無駄のない動きに、技師さんの経験数と判断力の早さに感銘を受けました。
様々な年齢や体型や性格の方が次々来るのに、要求するそれぞれの姿勢の指示が誰に対しても的確ですしね。

台の上では不自然な姿勢を要求されるだけでなく、高さが高いことも更なる恐怖心に繋がったりしますもんね。
冷静書いても、また撮影をする時には冷たいレントゲン室の空気感で、身体がビクッと動いちゃうんだろうな~。

※この記事は、脳性麻痺者である私自身が、あくまで主観的な観点から記載したものです。
※今回の内容は全ての脳性麻痺者に当てはまるものではありませんので、ご了承ください。


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3月11日が近くなるたびに、またニュースで何度も見聞きして。
4年前の当日のことを書こうかどうか、最近ずっと考えてたけど。
「終戦70年目の方々」や「3.11の被災者の方」を観ていたら、
被災地の人間じゃない私が言えることなんて、何にもない気がして。

だけど、非常時の障害者の行動や対応は回顧になるので、書きます。

暖かい午前中だったから、家族や祖母と別れて、買い物に出かけた私。
大型ショッピングモールの最上階に着いたとたん、大きな揺れが来た。
テナントの店員さんはそれぞれ別行動をしたから誰も誘導者がいない。
駐車場に車を取りに行く人と、外に逃げる人がみんな走っている中、
どうしたらいいか迷った私は、ほとんど一人で取り残されてしまった。

最上階から外に出るには、停止するエスカレーターを下りるしかない。
でも、ショッピングモールを出るには、そのあとも、長い道順が続く。
障害の影響もあり、あまり地図が分からない。
それに、ただでさえ入り組んだ店舗を取り乱した状態で出れる訳ない。
まだ揺れるかもしれないのに、判断と走るのが遅い私は逃げ遅れてる。

???どうしよう???

そう思って3階テラスに繋がる扉を開けたら、その横に階段があった。
そこから下に降りた時、店舗内に居たほとんどの人が既に集まってた。


そこで不安感から過呼吸になってしまった時一緒にいてくれたおばさん。
薄着で寒かったけど、震える私を見て保温用アルミをくれた店員さん。
集団で避難した場所が液状化していたから、歩いて公民館に移った。
その時に喋った大学生(電車の遅延ということで我が家に一泊しました)
あの時一緒にいて私の安心になってくれた方、みんな元気だといいな。

障害があるからでしょうか。

両親や祖母・叔母までもが「私のことが一番心配」と電話の嵐でしたが。
(その日はたまたま充電がなく、バッテリー残り数%だったので足早に切りましたが。)
防寒できず・荷物少なく・バッテリーも全然なく危ない一日だったので
その後常備する荷物を見直し、今は常にバックインバックを持ってます。

被災地や戦争で親族を失った方の、本当の辛い気持ちは分からない。
でも、当事者の方の「生の声を活かす」という大切さは痛感するし、
「二度と同じ辛さは繰り返してほしくない」想いは、分かりました。

そして、いざというときに。
障害がある者は動くのか。

考えても考えてもまだ足りないんだろうけど。
だからこそ常に考えておくことが大切ですね。


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春ですねと言ったのに、寒い今日。
今日は、久々の病院リハビリでした。

前回急にキャンセルしてしまったのもあり、気づけば1ヶ月振り。
膝や足の痛みも長く続いていたので、診察も受けてきました。

診察は、膝のお皿が外側に引っ張られる脚の形状・一下肢内の上下内外の筋力の不均等・両下肢の筋力差など指摘されました。

私の場合、だいたいいつもどの医師でも「痛み→動かす→硬い→リハビリ頑張って!」というのがお決まりの流れですが^^;
それを分かっていながら、イマイチ打破出来ていなった最近。自分でも忘れてたけど、医師に報告することがありました。

前回の受診のときに、漢方薬を処方してもらっていたのでした~!
芍薬甘草湯
「痙縮が痛すぎるのにどうしようもない!」と言った私に、2週間分。

(漢方薬は苦いイメージがあったからウィダーを用意したのに、全然平気でした。)

「最初は身体が温まってコリが弱くなったかなという気になれたけど、暫く飲み続けてみると、普段と何も変わらずな感じでした~」と報告。
中枢神経系に作用する薬で大変な思いをした私が断固拒否するので「試しに」と服薬した漢方薬だったので、今回で服薬終了です。

(末梢神経の薬だから効果が薄いのは仕方ない。医師と相談して決めた薬です。)

診察後はリハビリへ。
リハビリは体幹筋の左右差と大腿四頭筋の弱さの指摘がありました。

(可動域・筋力・身体の左右差を無くすのは、自分も何年も前から言っている課題!)

外は寒いというのに、リハビリ後はいつも半袖で帰れるくらいの暑さ。
久久すぎてあまりの筋力のなさに笑ってしまったリハビリでしたが、若いのに熱心に指導して下さり、私と同じ分だけの汗を流してくれる。


毎回本当にありがたい。

医師から、“思うように行かない身体”が痛みを強めてしまうこともあるというコメントがありました。
確かに。
無理しようと思えばいくらでも無理できちゃうし、身体の使い方での代償や心理的な影響もあるのかな。

各所で「痛み」に共感してくれる受診とそうじゃないのでは、受診後の体感が全然違いますもんね。
色々な人に支えられているこの感謝を結果で出せるように、私も自宅リハ頑張りますm(_ ♡_)m


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