お久しぶりです。
1ヶ月以上振りの更新です。

自身の体調や色々と感じること・考えていたことなどがあり、
なかなかブログを更新する気持ちになれずにおりましたが、

変わらずにブログを訪問して下さったりメッセージを下さって
ありがとうございました。

更新していなかった間に、
Crebral Palsy's life -成人脳性麻痺者の日々-は、1年が経ちました♡

1年間ブログを続けて来れたのも、見て下さる皆さんがいるからです!
ありがとうこざいます。

更新していなかった間にも以前から登録させて頂いている日本ブログ村のランキングが落ちることはなく、
昨年のブログ開始日以降からずっと、PVランキングが1位のままという嬉しい出来事もあったりします^^
順位ではなく、『脳性麻痺を知ってほしい』私の想いが多くの方に届いているかもということに感謝です。

更新していない間に医学の限界を何度も垣間見てきた気がして、このままブログを続けるか迷っていました。

「この分野ならこのまま発展していけば大丈夫だ。研究が進めば、将来は安泰だな」という分野もあれば、
何百年・何十年と多くの方が苦しんできたはずなのに、まだ辛く・苦しい思いを繰り返してしまうような
「どうして…。」「何で…。」と不甲斐なくなってしまう疾患も多々存在することも、事実だと思います。
そんな事実に対してただ「健康を大切にしてほしい」と言う私ができることなんて、何があるんだろうと。

昨年1年間は、沢山の脳性麻痺当事者の方や医療関係者の方にお会いしてきました。
毎日を過ごすパワーを貰う一方で、想いを汲み取って下さった方が沢山いてくださって。
今回もそんな方々に言葉を掛けて頂いたことで、ブログは続けていこうと思えたんです。

「医師でもない、担当療法士でもない脳性麻痺当事者の生の声だからこそ、私たちは聴きたいと思っているんですよ」と脳性麻痺児の親御さんに言って頂いたり、
「あなたの想いはちゃんと届いていますよ。医療関係者ではないあなたに代わり、あなたの想いを形にしていきます。」と言って頂けて、本当に嬉しかったです。

私がここに書くことで、誰かの役に立つのなら。

『私は健康を大切にしよう』『私も健康を大切にしよう』と、一人でも多くの方に思ってもらえるのなら。
私がしてきた沢山の苦労も「無駄ではない意味のあることだったんだ」と思うことができると思います。
皆さんが私の尻を叩き私の生きる意味を作って下さり、私が使命を持って生きることができています。

ありがとうございます。

更新の頻度は落ちてしまうかもしれませんが、ボチボチ続けていけたらと思っています。
今後とも Crebral Palsy's life -成人脳性麻痺者の日々- を、よろしくお願い致します^^
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障害受容に苦しんでいた時、とても自分の障害体験を外に発信するなんてこと、出来なかった。でも、21歳の時『ぱんだ会』の皆さんとお話しさせていただいたことで、「私も自分で伝えなければ現状は何も変わらない」と思うようになった。
そこからブログをスタートし、先日は、ブログの名刺をお世話になった場所に置いていただいた。何が出来るのかと考えると進めたいことは本当に沢山ありますが、まずは名刺を作って置いてもらうことができただけで大きな一歩ということで。

徐々にブログの閲覧者数も増えているので、開設から5か月経った今、もう一度「伝えたい想い」をまとめてみます。

ブログ開設当初、「一人でも多くの人に、脳性麻痺という障害を知って理解してほしい」「健康の大切さを伝えたい」と言っていました。その想いは、最初にブログを始めた5年前から、今も、変わることはありません。

私はずっと自身の障害を知らされず、普通学級での教育を受けてきました。成長期にリハビリをしてなかったから、体調改善に時間が掛かった。リハビリしていない間に起きた身体変化に付いて行けず、夢を諦めた。

そのために沢山苦労をしてきたし、最初から障害理解をしていれば必要のなかった無駄な時間もあった気がするから。
「私と同じ辛い思いをしてほしくない。」「もちろん自分も。だけどそれ以上に、私と同じ障害を持つ子どもたちには、明るい未来を歩んでほしい。」そんな想いでブログを綴ったのが最初でした。

脳性麻痺って何?

そう聞いて、一言で明確に答えられる人は、そういない。それは一般の方だけでなく、医療関係者の方であっても。
脳性麻痺を専門に学ぶ方・医療を提供している方は少なく、脳性麻痺者を取り巻く現状は当事者から伝えるしかない。

脳性麻痺と言えば、教科書だけでは「身辺自立の困難な寝たきり・重度の障害」というイメージもあり、私のような軽度の者は、長年脳性麻痺者を診てきた医師でさえ驚く。だから、リハビリを担当する療法士さん方の中には、一生脳性麻痺者と関わりを持たずして・知らずして療法士生活を終える方も、いるのだと思う。
多くの方に、「障害児は障害者になり、続く沢山の困難の中で生活している」ということを知ってほしい。

たとえ脳性麻痺であったとしても、自分の障害に気づかないほど、軽微な不自由の中で生きる軽度障害者もいること。
そういう者は健常者と変わらない生活ができるし、希望も持てること。
だけど成長期を境に周囲との差は徐々に明確になり、幼少期からの過剰な努力は、二次障害の発現を早めること。
希望の中にあった者に「治らない」という現状をいきなり突きつけることは、絶望を与えること。

就職時など自身の障害を相手に伝える必要がある時、「困っていることは何ですか?」そう聞かれたら困るから、事前に一生懸命考えた。
その時の私は、「実は困っていることは何もない」と思っていたから。
知らず知らずのうちに自分なりの方法を見出して出来ないことをカバーしていたから、「やりにくいこと」はあったとしても、「出来ないこと」は何もない気がしていた。
だけど成人してからは、物理的な障壁以上に周囲から理解を得ることは難しいと思っている。

脳性麻痺の症状は多彩で一人一人違う。
だから、当事者が伝えていく必要がある。

今の医学では治らないけれど、当事者が「伝えよう」また周囲が「解ろう」とすることで、変えられる現状や未来はあると考える。
脳分野の医学は未知だから、期待の反面、正直、「私が生きている間の脳性麻痺完治は出来ないだろう」という思いもある。
だけどこうして想いを伝えることは出来るし、想いを残すことは出来る。

私が生きたずっと後に、分かってくる「脳性麻痺者の実態」のようなものもあるのだろう。このブログを読んでくれている方がいる以上、私は私が生きるそのままを、成人脳性麻痺者の生活として伝えていきたいと思う。


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年末に手作りした、ブログの概要を記載した私の名刺。
まずは、これまでお世話になった所に置いてもらおうと思います。

「多くの人に、脳性麻痺という障害を知って理解してもらいたい」
この想いを形にするために、活動の幅を広げていきたいと思います。

皆様、よろしくお願い致します。


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  出生から現在に至るまでざっと、遅ればせながら自己紹介です。

●低出生体重児
長年、早産が原因で脳性麻痺になったと思っていた。しかし、23歳で初めて神経内科に行き頭部MRIを撮った時、「大脳皮質形成異常」と「巨脳症」であることが分かった。このことにより、私の脳性麻痺になった原因は、周産期ではなく胎生期にあったと言える。

●小学校3年生
尖足改善を目的に、入院・アキレス腱延長手術・リハビリをした。新学期が始まって1か月半位の間に、学校では「とけい」の勉強が始まった。自分はその遅れが原因で、理数系教科ができなくなったと今でも思っている。

●17歳
高校2年生の春頃から腰痛を感じるようになる。当時はまだ自分の障害を一切知らなかったので、「脳性麻痺の二次障害」に関しては頭になかった。整形外科を受診したものの、麻痺の程度があまりに軽微だったために、正しい診断はされなかった。原因も分からないまま、日に日に強くなる腰痛と共に学生生活をしていた。

●18歳
腰痛の原因を知りたいとネットサーフィンをして、自分で「脳性麻痺」と「二次障害」という言葉を見つける。「足が悪いことが腰にも影響しているのだろう」と気づき、小学生の時に通院・手術入院をしていた病院に連絡をした。当時お世話になった理学療法士さんに、「腰痛の原因は歩行時の腰椎の過度の前湾」と教えてもらうことができた。姿勢改善のために、同病院にて足底板治療開始。


●20歳
自分の障害が「脳性麻痺」であると知る。それまでは、先天的な足部の骨形態異常「垂直距骨」だと思っていたが、たまたま受診した整形外科医が「垂直距骨はそれ単体で発生することは少なく、何らかの基礎疾患があるはず」と教えてくれた。これを機に、通院先にも聞いたところ、「何らかの原因で脳の運動野が傷つき、下肢麻痺がある」と教えてくれた。この時初めて、自分が「脳性麻痺」であることを知った。

●21歳
徐々に体調も落ち着き障害受容もでき始めていた21歳の秋頃、若年性乳がん患者会『ぱんだ会』の方々と出会った。疾患は違えど、同世代の方々が活動する姿を見て、「一人でも多くの人に、脳性麻痺という障害を知って理解してもらいたい」「健康の大切さを伝えたい」と思うようになる。以降、脳性麻痺の二次障害を中心に記載したブログを開始。4年間続けたものの、肘部管症候群を発症したことで中断した。

●23歳
大学時代に取得した教員免許を活かし、学童保育指導員として就職。身体障害者手帳は取得できなかったため、社会人1年目は一般就職。「日常生活・業務に支障はありません」と言いつつヒールを履いての就職活動は苦労もした。しかし、「障害を克服した根気強さを仕事に活かしてください」と言われ内定をいただいた時は、「障害も開示の仕方によっては強みになるんだ」と実感した。

●25歳
通院に理解ある職場ではあったが、身体的に大変さを感じたため学童指導員を退職。「次の仕事は障害者枠で就職しよう」と決意。日々変化していく症状をきちんと理解された上で働きたいと思ったことが、身体障害者手帳を取得しようと思ったきっかけ。障害者枠での就職活動の結果、病院事務として再就職する。

●26歳
再びブログを開始。以前は「一人でも多くの人に脳性麻痺という障害を知って理解してほしい」という想いがあったが、「想うだけ・綴るだけでは、何も変わらない。実際に行動を起こさなければ」と思うようになる。障害を持ったことを1つの使命と捉え、脳性麻痺という障害に関して理解を求めながら、「今度は実際に社会と繋がる活動をしたい」と考えている。

麻痺の程度は非常に軽微ながら、小学校3年生で1度手術をしていること、17歳の時に二次障害のきっかけとなる腰痛を発症したことがポイントかと思います。
そして、21歳で『ぱんだ会』の皆さんと出逢えたことも、私が脳性麻痺者生活を送る上では、大きなターニングポイントでした☆


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約1年振りにエキサイトブログに帰ってきました。
環境設定をしてみたら結構変わってた。

また日々の記録を残せたらと思います。
よろしくお願いします!

更新は気まぐれ&ゆっくりにするつもりですが
ぜひチェックしてね♪

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