親の想いと子の想い


日曜日、歩ける肢体不自由児の親子の会ちいさなふたばの集まりに、脳性麻痺当事者として・サポーターとして、参加させていただきました。

〝患者会〟〝当事者会〟と一口に言っても、特に肢体不自由児の〝親子の会〟に参加していると「親と子の悩みは違うんだな~」と実感する。

成人脳性麻痺者の集まりの場合、障害程度が同程度の場合は『共感できる』ことが一つの強みだけど、親子の会の場合は、障害程度が同程度でも立場によって視点が違うことがあるから、私のほうこそ勉強になる。

親御さんは物凄く心配していることでも、私からしたら「私は子どもの頃、そんなことは全然気にしてなかったな~。どうだったか忘れちゃったな~。」と思うようなこともあるし、都度、自分の中の遠い記憶を呼び寄せたり、自分では「何てことない」と思っていることをサラっと言ったりして私の経験談とすると、「そこが知りたかったの!」ということがあったりして、「お~!当事者談とは、こういうことでいいのか~!」と思うこともある。

その話を母にしたら、「親と子では悩み事も違うんだよ。親というのは、子どもにとってはどうでもいいように思うかもしれない小さなこと一つ一つにも、いちいちいちいち、やきもきしながら過ごすもんなんだよ。特に子どもが小さいうちは皆そうだけど、障害があるなら尚更なんだよ。」

だそう。

そうか。
『障害児の親である』というだけで、親には沢山沢山苦労をかけたのね。

ありがとうね。

そして

ごめんなさい。

娘(当事者)としては、他にももっと重要で気にかけて対応してほしいことが沢山あった気がするけど、親としての心配事は、そこではないらしい。

脳性麻痺当事者として自分の中での重要度が低い事柄は、親子の会にでも行って誰かからの質問を受けない限り、私の話の中では危うく流れそうになるか、もしくは、無意識に墓場まで持っていくことになりそうだ 笑

他人の話を聞いて、質問を受けて初めて、何でもなかったような過去の自分の一日一日の全てが、自分の〝経験談〟になってゆくんだなぁ。

そういう意味では、「私が生きている限り、まだまだ脳性麻痺者として果たすべき役割はあるし、今後も絶対に〝ネタ切れ〟は起こることがなく、むしろお伝えできるエピソードは増えていくんだなぁ」と実感中♪( ´▽`)

私一人の回想では無意識に進んでしまう早送りの人生テープを、これからもどんどん途中で誰かに止めてもらわなければ!と思ったのでした 笑

という訳で、私と肢体不自由児の親子の会『ちいさなふたば』との関わりは、私が脳性麻痺当事者として親御さんに今までの経験談をお話するだけではなく、何よりも私自身の、人生の振り返りと整理になってます。

そんな出会いと場を与えてくれたことに、感謝です。
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